失敗を断罪されることで、子どもが背負ってしまうもの
子どもたちは、人生にたった一度しかない「子どもの時間」を過ごしています。そして、子どもの時期にあったこと、感じたことは、その人のその後の人生を「覆うもの」となる可能性があります。10歳から12歳の3年間も、また然りです。導き方を間違えなければ、どの子もその子の手持ちの力で、本当に一生懸命やります。ときに向き合えない、逃げてしまう、そうしたことも含めて、今のその子のすべてです。なんとか向き合えるように、求める結果に向かって伸びていけるようにと、周囲は必死になり、本人も応えようとします。
過程に至らなさがあったとしても、本番が近づくほどに、子どもたちは受験を自分のこととして捉え、必死に頑張ります。自覚するのが遅ければ、そこから取り返せるものには限りが出てしまうケースもあります。それでも、そこからはひたむきに頑張ります。早くから自分に向き合い、頑張ることができていた子たちもいます。
そうであっても、上位であればあるほど、結果がどうなるかは誰にもわからないのです。
多くの大人たちが、日々社会の中で、「結果」にさらされて生きています。過程がどんなによいものでも、どれだけ頑張ったのだとしても、結果が出せなければ認めてはもらえない。その実感があるからこそ、大人たちはその論理をそのまま、子育てに、子どもの受験に、持ち込もうとします。失敗したら、失敗だと断じること。それこそが、社会の荒波の中を生きる自分が、子どもに対してしてあげられることだ。厳しさに直面させることが、次こそは頑張ろうと奮い立つ心に結びつくのだ。そう信じているのだと思います。
それは誤解だと、はっきり伝えたい。なんとかして、伝えたいのです。
「人生では、結果だけが残る。だから結果を出せ」という言葉は、仕事上の真実ではあるかもしれませんが、12歳の子どもにとっては恫喝であり、呪いです。中学受験は、それ自体をやり直すことは二度とできないライフイベントです。結果が全てであり、結果が出せなかった君の時間に価値はない、と断罪されれば、子どもの人生には、次こそは奮起しようという前向きな意志ではなく、断罪された経験の方が強く残ります。
子ども時代に、何年もかけて精一杯頑張った自分を、ばっさり切って捨てられた経験は、一生引きずる心の傷になり得ます。親の発したそうした一言が、ときに「認められることを、ゆらぐことがない自信を求めて、いつまでもさまよい続ける人」を生みだしてしまう。人間は、発達段階の中で十分に得ることができなかった承認や愛情を、どこかで取り返そうとしつづけてしまう生き物だからです。
ゆらぐことのない自信を求めて、さまよい続ける大人
以下は私が経験した実際の話です。
人生の節目節目で、やっとの思いで手に入れたがんばった結果を、父親に絶対評価で折られつづけた、ADHDの診断を持つ子の半生。アルバイトの採用面接にきた「誰もが羨む最難関校出身で、今は有名私大に通う子」が、覇気なく「自分は落ちこぼれなんで…」と繰り返したときに思ったこと。小3から小5にかけて、通っていた塾の先生と父親に「御三家以外は学校じゃない」と刷り込まれ続けた結果、小テストや宿題で、答えを写すことをやめられなくなってしまった女の子。父親が家に帰ってくるたびに「一番の高みを目指すというのに、おまえはこんな問題もできないのか」と恫喝されつづけ、父のいないところで幼児がえりをしてしまった子(この子は、受験期の途中で父親の心のありかたが変わって、持ち直すことができました)。
或る人を支配した「父親の言葉」
以前、書籍の編集担当でお世話になっているIさんが自身の経験をいくつか語ってくれました。
Iさんが現在つとめる出版社に入社する前、転職希望者のための「塾」に通っていたことがあったそうです。Iさん自身は、別の出版社からの転職を目指してのことでしたが、特定の業種をターゲットにした塾ではなく、彼の「同期」にはさまざまな人がいました。 疲れた様子の元プログラマーの男。「前職の体操服屋さんがつぶれちゃって…」という、何だかちぢこまった、冴えない印象の男。
その中にひとり「東大出身で、超大手コンサル会社を辞めてきた」という、Iさんの言葉を借りれば「圧倒的にハイスペックな」男がいました。「なぜこいつがこんな場所に?」だれもがそう思うような奴でした、とIさん。親しくなり、話をする中で、彼が転職をする動機を聞くことができたそうです。
「自分は中学受験で、目指していた学校に入れなかったんです。そのとき、父親に「お前の受験は失敗だったな」と、ばっさり斬って捨てられてしまいました。それ以来、「絶対にゆるがない自信がほしい」と願いつづけて、今も高みを目指しているんです。」
「絶対にゆるがない自信って言ったって、あなたもう、これまでの経歴が十分そうじゃん。これ以上、何を?」それが、Iさんの率直な感じ方でした。
「塾」を通じて、Iさんも他の同期たちも、自分のあらたな道を見つけていきました。 みんなさまざまな業種で、大活躍しているといいます。現在の出版社で大活躍中のIさんもその一人です。元プログラマーだった人は、大手ゲーム会社に入社し、誰もが知っているタイトルのヒット作を開発しました。元・体操服屋の男は、関西に移り住んでプロボクサーになり、傍らで会社経営をしているそうです。
しかし、「圧倒的ハイスペック」の彼は、塾が始まってほどなく休みがちになり、やがて塾に来なくなってしまいました。塾に来なくなってしまってからも、Iさんはしばらく、彼と連絡をとり続けていました。結局彼はその後、小さなコンサル会社を転々とする中で、お店で出会った女性に入れあげて、数百万あった貯金も使い果たし、最後はその「彼女」が会社に来て「彼は体調不良のため、数か月会社を休みます」と告げたそうです。それ以後、Iさんが連絡をしても、彼から返事が来ることはありませんでした。
父親は、「彼をこんな結果で満足させてはならない」と考えて、彼の受験の結果を切って捨てたのでしょう。ですが、その満たされなさは、言葉を選ばずに言えば、無駄なものだと思います。不毛で、不必要なものだと思います。
「強くなれ、甘くないんだから」という思いでかけた言葉は、その子のその後の歩みに始終ついてまわり、半生をくじくようなものになってしまった。「おまえは十分すごいよ。次は頑張れよ」もし、かけられた言葉がそういう言葉だったら、また、変わったのでしょうか。
Iさんはもう一つ、こんな話もしてくれました。経営者の父親をもつ知人がいます。彼の父親は非常に厳しい人で、その人がどんなに頑張っても、決して褒めてくれることはありませんでした。受験で家族の望む結果を出しても、本当に何一つ、言ってくれなかったそうです。
「いつか、父親に自分を認めさせたい」その一心で頑張り続け、彼自身も経営者になり、やがて、自社ビルを建てるまでになりました。父親が、その自社ビルを見て初めて「おまえはすごいよ。俺はお前に負けた」と言ったのだそうです。はじめて父親がそんなことを言ってくれて、その知人は、泣いて喜んだのだそうでした。
彼が父親にこういう言葉をかけてもらうまでの半生の中で、どんなことを感じてきたのかはわかりません。何とも言えない。ただこの話には、先の「ハイスペック君」の話と根を同じくする部分があると、私は思います。
子どもの出した結果に、父が、母が、どんな言葉をかけるか。
子どもは、その言葉を、そのときの思いを、ずっと背負って生きていきます。
仁木 耕平
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